早稲田祭2023まであと10日を切りました!!
4年ぶりに制限のない早稲田祭が完全復活するということで、早稲田本来の姿を取り戻した活気あふれる祭になるでしょう。
そんな早稲田祭の1日目の最後を飾る目玉企画をご存じですか?
薄明の3号館の壁面に照らし出された、光の芸術__
それは、『プロジェクションマッピング』です。
今回、早稲田祭2023 プロジェクションマッピング企画の主宰・ナカジマシンさんにインタビューを受けていただきました!
「結局ここにははじめから、あなたとわたししかいないから。」
_プロジェクションマッピングに込められた想いとは……
この記事を読めばプロジェクションマッピングを、早稲田祭を何倍も楽しめること間違いなし!!
インタビュースタート!
編集部:本日はよろしくお願いします。
ナカジマ:よろしくお願いします。
編集部:では、まず最初に自己紹介をお願いします。
ナカジマ:こんにちは、ナカジマシンといいます。大学に入って3回目の秋を迎えました。おもに京都を活動の中心として、短歌や演劇をはじめとした制作活動をしています。
来る早稲田祭2023では、プロジェクションマッピングの主宰をつとめています。
編集部:まず、プロジェクションマッピングはどのようなものか教えてください。
ナカジマ:建物の壁やストラクチャーに、プロジェクターで映像を投射する表現手法です。多額の費用と専門的な技術が必要なので、これまで商業芸術で多用されてきました。
たとえば豊洲にあるチームラボなんかも、プロジェクションマッピングをベースにしています。
早稲田祭×プロジェクションマッピング?
編集部:なぜ早稲田祭でプロジェクションマッピングをやろうと?
ナカジマ:プロジェクションマッピングがいまの形になったのは昨年からで。数年前までも業者にお任せするものはあったんですけど。新しい企画なんです。
昨年から運営スタッフ有志が集まって、自分たちで制作・運営まで行うようになりました。
編集部:去年のプロジェクションマッピングがベースになっているんですね。
ナカジマ:そうですね。去年の代表の言を借りれば、これはプロジェット(Projet)なんです。実存主義でいう「投企」。
編集部:投企…?
ナカジマ:まずわたしたちは、事実すでにこの世界に投げ込まれている。そのなかで、自らにふさわしい可能性に向かって超域しようとする試みが「投企」です。わたしたちは結局、自己と存在の意味からは逃れられなくて。だからこそ何かに自分たちを投げつけて、自己を観測するんです。
編集部:おお……!
ナカジマ:自分で自分の姿って見れないじゃないですか。鏡があるのだってそういうことだし、見方によれば、インスタのストーリーだってそうです。
わたしたちにとってそれが壁だった、ということです。
編集部:必要に迫られて、という感じなんですね。
ナカジマ:まさしく。切実なんですよ、わたしたちにとって。
プロジェクションマッピングに込めた”想い”とは?
編集部:今回は演劇×プロジェクションマッピング『pule/』というテーマですが、ここに込めた想いを伺えますか?
ナカジマ:祈りです。ハワイ語で祈り。もっといえば、失ったものに対する祈り。
編集部:なんでハワイ語を?
ナカジマ:この一年、言葉と祈りについてずっと考えていて。言語哲学者の井筒俊彦は、『言語と呪術』のなかで「言語的記号による呪術」について詳述するんです。要すれば、ここでは祈りというテーマ自体が祈りになる。
編集部:なるほど。
ナカジマ:言葉で世界が分節化される。言葉によって考えたり、表現することで、世界は区切られていくんです。だけどそれは本質的ではない。未文節の世界にこそ本質があるはずだ。
今回、あえて「わかりにくい」言葉を真ん中に据えることで、すこしでも本質に近づきたいという。それもかりそめなんですけど。
編集部:すごい納得しました(笑) ここでの祈りとは、具体的に?
ナカジマ:ほら、あなたにもありませんか? 大事なものを失ったこと。通いつめてたレストランとか、気に入ってたCDとか。ペットとか、友人とか。別れを告げたかいなかに関係なく、その日というのは、いつも電撃的に到来する。
わたしたちは、これまでに多くのものを失ってきたし、これからも多くのものを失い続ける。もちろん最後は、わたし自身の身体を失う。__だからもう、祈ることしかできないんです。
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