愁文会×わせコマ 連載企画第四回「アンゲルス・ノーヴス 」

コラム
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こんにちは!わせコマ編集部です。

この度、わせコマでは「才能あふれる早稲田生の輝く場所を広げたい」という思いから、「創作系サークル作品連載企画」を進めることになりました! 

第一弾参加サークル

  • 愁文会:4回連載
  • 早稲田大学リコシャ写真部:3回連載
  • 理工系学術サークルWathematica:3回連載

そして、今回は愁文会さんのラスト掲載!!第四回「アンゲルス・ノーヴス」です!

海沿いの街、閉業目前のショッピングモール。アルバイトの真子と、パートの宍戸さん。それぞれのモールへの思いと記憶が交差し、ショッピングモールに夜が来る、、、

是非一読ください!

愁文会様の連載

第1回:柏村悠『革命家の友』 テーマ:進取の精神

第2回:鵜川与太『イン・シーズン』  テーマ:学の独立

第3回:加賀知巧『回想、想起、訣別。』 テーマ:たくましい知性

第4回(今回):阿藤洛太『アンゲルス・ノーヴス』 テーマ:しなやかな感性

愁文会とは
早稲田大学公認文芸サークル。同一テーマで短編小説を書いて読み合う【競作】や会員の作品を集めた【会誌『白紙』の発行・頒布】など経験問わず活動をしている。

アンゲルス・ノーヴス

阿藤 洛太

 従業員休憩室の白い壁に、そのショッピングモールが写った、いつのものかわからない写真があり、真子は割引の菓子パンを食べながらそれを見ていた。今日まで見るともなしに見ていたその写真は、ショッピングモールをヘリかなにかで斜め上空から撮影したもので、その周りにはなにもない。灰色の土砂と瓦礫が広がり、朽ちた足のように、一階部分の褪せた柱がむき出しになっている。しかしその立方体の身体全体で、街でモールだけがずっしりと立っている。屋上には赤や黒の流線形をなした車が何台か取り残され、それぞれに息をひそめている。薄く広がった真昼の曇り空の下に、人の影はどこまでもない。

 いつか柱だけになってしまった一階は、真子にとっては何の変哲もない職場だ。立ち上がり、ゆっくり休憩室を見回しても、さきほどまで働いていたフロアに記憶の幽霊をめぐらせてみても、どこにも災害の傷痕は見あたらない。この街は海が近いから、親からか学校でのことか、幾度か話を聞いたこともある。ただ、自分にとってはおよそ遠い話でありつづけたと言えてしまうのも事実だ。

 真子の生きた二十数年のあいだ、地も波もおおむね穏やかな寝息を立てていた。ときおりのいびきや寝返りも、ぐっすりと眠っている人間がする、かえってその内側により深く入りこんでいく短い震えのようだった。徐々に頻度が落ち、そのリズムに合わせて、人々もまたゆっくりと眠りこんだ。

 その写真が今日にかぎって、真子の眼に飛びこんできたのは、なぜだろう。真子は時間の軸をスクロールして、すこし先の未来まで飛ばしてみる、秋の夕暮れ、街は低い屋根の家並み、モールの近くには同じように人の影はない、今度は車もない。ただ取り壊しを待つモールが、影を落とし、うつむいて立っている。真子のなかで、あるひとつのことが改めて思われる。このショッピングモールは今月で閉業になる。今日は、残りすくない出勤日のうちの一日だ。

 あ、と真子ははっとする。休憩の時間はシビアに計らなければ。真子はパンの最後の一口を押し込む。

 遅れてもなにも言われないけど、一分でも取りこぼすわけにはいかない、ゆっくりしているわけにはいかない、と真子はふだんの時間感覚を取り戻したようにスマホで時間を確かめ、制服を脱いでドアを開ける。あと十分。閉業が決まる前からの習慣で、休憩の後半は店内の散策にあてていた。スーパーでその日の食料を買うことが多かったが、とくに買い物がないときは、二階で立ち読みをしたり、歩きながらお客さんの様子や別のコーナーで働いている人たちの様子をぼんやり眺めたりゲームセンターをうろついたりもした。

 踏みだすにつれ、相変わらず人の少ない、さびれた店内が、眼に広がる。さっきの写真の、傷つき褪せた足のイメージが頭のどこかで霧のように浮かぶ。真子の視界はいつもより注意深くなり、ズームのかかった状態で、あちこちの細部をきびきびと動いた。しかしどこを見ても、フロアは相変わらず、つるんとした白さの際立つ、明るい場所のままだ。真子はなんとなく二階に向かう。大きく空いた真ん中にかかるエスカレーターを取り囲むように、呉服コーナーが二階の多くを占め、一方の隅に本屋、反対側はゲームセンターだった。一階には真子の働いているスーパーのほかに、眼科と携帯ショップの抜け殻、それと店の入るべき場所がいくつか空いているフードコートがある。時期は違うが、続々とお店が撤退していったので、真子もその同僚も、職を失うのは時間の問題だと予感して、職探しを早くから始めていた。耳寄りな情報や新しい勤め先の候補、ときには誰かの噂が、すこし前から話の種になっていた。パートの金田さんは、雇用先も見つからないから、しばらくは家事に専念しつつ単発とかできたらいいな、と言っていた。ベテランの宍戸さんは、仕事はここで一区切りつけるらしい。まじか、って思ったけど、まあいい機会というか、潮時かなーとも思って。宍戸さんは淡々と続けた。うちほら、二世帯で。息子ももう自立したけど、わたしお母さんの世話もあるし。真子はそうした話を聞きながら、わたしは焦ってる、と思う。たぶんパートの人たちより。掛け持ちのバイトで生活費を稼ぐ生活は、そう見通しの利くものではないとわかっていたけど、うまく回っているときは未来のことなんて考えないし考える余裕もない。驚く暇もなく、気がつけば足場はもう崩れていて(真子は、あの瓦礫の写真を思い浮かべながら、踏みいれるとわずかに揺れる黒いエスカレーターに乗って上っていく)、責められるような暗い気持ちでひたすら、布団の中で求人情報を漁った。

 頼れるものもなく、掴めるものもない。部屋の外は夜の海が広がっていて、ひとりで浮かんだまま、取り残されているみたいだった。携帯が心細く光っていた。いつまでフリーターやってんの、とだれかの声が鳴る。自分の声だったかもしれない。この不安定な生活を、好きで選んでるわけじゃない。人生に吹く強い風が、気がつけばわたしを遭難者にさせていた。でも、と真子は思いながら二階を見回し、その景色にシャッターを切るみたいに心の奥で念じる。この職場のことは好きだ。

 歩いてみると、一角のゲームセンターから筐体がひとつ残らずなくなり、すべすべで暗い、空っぽのスペースになっていた。広く感じる。床のピンクが、もともと筐体のあった場所は濃く、全体が蛇腹のようになっていることに真子は気がついた。人の行き来で摩耗した部分は、それだけでは本来の色を想像できないくらい薄くなっていて、道の跡ははっきりしているのに、すでに、なんのゲームが置かれていたか、どんな配置だったか思い出せないところがあることに真子は驚いた。真子が子供のころはスマホゲームが主流で、幼いころの記憶をどれだけ探しても、こうした場所に連れてきてもらった覚えはない。真子はなにかを思いたいと思ったが、うまくなにかを思うことができない。

そうなの、なにもない!

 え、と真子は肩を驚かせて、振りかえりながら宍戸さんの声だと気がついた。どうやらすこし前からいたらしい。背の高い宍戸さんを心持ち見上げるようにすると、きりっとした眼がいつもよりすこしだけ大きく開かれていた。驚きながらもどこか乾いている。こうした、宍戸さんのさらさらとした明るさは真子にとって親しみやすかった。

びっくりしましたよー、宍戸さんも休憩ですか?

そうー、あ、こことか。

 と宍戸さんが指さした細長い場所はフロアの内側に向かって折れた壁沿いのところで、色が濃いからたしかになにかがあった場所なのだけれど、真子は思い出せない。他のに比べて幅が狭いからクレーンゲームの類ではないし、一画が細長すぎてアーケードゲームでもない。もともと何もなかったようにすら思えた。

ここなんでしたっけ。

懐かしい、わたしも久々思い出したよ、たぶんガチャガチャでしょ。

 そう言われてみれば、その連なった二段組の横たわった身体がすっぽり収まる。宍戸さんにはもっと細かく、たとえばなんとなくの色の感じとか、話題になったシリーズのイメージとかが見えていた。真子は心なしか、宍戸さんの声の奥のほうが弾んでいる気がした。

 あ、思い出した、これさ、といって宍戸さんは、腰の横についていたポーチを正面まで引いてきて、中からなにかを取り出して真子に見せた。Y字バランスみたいに奇妙に足を伸ばし、ちょっと昔風の髪形をした、制服の女性……?

なんですか、あ、とったんですか?

 そう、ここでねー。いつだったか忘れちゃったけどけっこう前だなー。なんか人気だった時期があって、なんとなく引いてみたの。この足の形がさ、コップのフチにぴたって乗るんだけど、結局持ち帰らずにしまったまま。ここのガチャのフェイスのさ、説明のとこにね、コップのフチに舞い降りた天使、って書いてあったの見て、こいつがか、なんじゃそりゃ、って思って引いちゃったんだよね。

これ、天使なんですか? とわたしは笑う。

 天使らしいよ。と宍戸さんも笑った。全然そう見えないけどね、完全にOL。(真子の言語感覚にOLという言葉は新鮮だった。よくわからないけどたしかにOLってこんな感じっぽい!)

ここももう全部なくなっちゃうって思うと、形見になりますね。

 形見か、たしかに。いや、これがか! って感じだけどね。これからはようやく家のコップに居てもらうことになるね。

 将来、ふとこのOL風の天使を眺めたときに、宍戸さんは思い出すだろうか、と真子は思う。今日のやり取りや、買った日のことや、このモールの風景と、働いていた自分を。

 わからない。宍戸さんがどんなふうに働いてきて、この天使を引いた日がどんな日だったのか、宍戸さんにとってこれがどんなものなのか、真子にはわからない。

 宍戸さんは、ここで働くの好きでしたか。

 そう真子が言うと、宍戸さんは考え込んだ。

 好きかー……好きかどうかはわからないけど、自分にとっては大事だった。小っちゃいころからあった場所だからね。

 休憩が終わりそうだった。宍戸さんと休憩室に戻った真子は、制服を着直しながら、その写真をまた見ていた。小さな頃から、このショッピングモールを訪れていた宍戸さんの生きた時間のなかにはきっと、その災害の光景が、写真ではなく、ひとりの人の記憶として息づいている、と真子は気づいた。

 宍戸沙保は、身体の覚えていたままに道を辿って、そのショッピングモールを数十年ぶりに訪れた。昼下がりに家を出てきたが、しかし歩くのは時間がかかった。日はすでに大きく西に傾き、大気を柔らかな暮色のカーテンが波立たせていた。ショッピングモールは、夕焼けを滴らせながら静かに佇み、やがて来る冷たい夜を待っていた。

 夢のなかのようなおぼつかない足取りでいま、一人の老婆が自動ドアから中に入っていく。その老婆、沙保にとって、ショッピングモールは恨むべき存在だった。人生の途中で急にあらわれたそれは、大きく威圧的な相貌で、地元の人の流れを変え、好きだった商店街を食べてさらに成長し、沙保に嘆きをもたらした怪物だった。

 真子は、休憩明けの勤務の終わり際に、お客さんらしき、カートを持った白い服のお婆さんと、宍戸さんがなにやら言い争っているようなところを見た。

 それにしても、と宍戸さんは閉店後の休憩室で真子に言った。なんでお母さんが道覚えてたかねぇ……

 さきほどの業務中の一幕について質問した真子に、宍戸さんも答えながら、終始不思議そうな顔をしていた。このごろ母に徘徊癖があること、母は根っからの商店街派で、ここのことはひどく毛嫌いしているということ、だから記憶では母は、一度たりともここを訪れたことはなく、自分も働いている場所は言わずにおいていたこと、だから喧嘩のようになったことなどを話したあとのことだった。真子は聞きながら、商店街の精気を吸い取って賑やかだったショッピングモールを想像して、自分も実際にその光景を見てみたかったと強く思った。

 わたしがねだっても、頑なだったの、いつもは優しくてしなやかな顔の輪郭を、ぐっとこわばらせて……だから行くときは、いつもお父さんが一緒だったんだよ。わからないけど、たまたま辿り着いちゃったのかな……

 宍戸さんとそれぞれの車の停めてある屋上に向かうまでのあいだ、真子は宍戸さんの話をずっと聞いていた。宍戸さんのお母さんにはそこで待ってもらっているのだそうだ。

 さっきの話の続きだけど、やっぱりこの場所にわたしは、いつかから強く惹かれてきたような気がする。それがなんなのかはわからないけど、大人になってしばらくしてから、たまたまここのパートに入ることになった初日、ここに来てみたときに、ずっと前と時間が繋がったみたいな、記憶の景色が蘇ってきて、ちょっと泣きそうになったんだよね。それからもここで働いてると、身体が隅々まで空気を吸い込んで、生き生き動いてる感じがする。地元っていうか、故郷ってそういうものなのかもしれないよね。

 真子はこうして宍戸さんが過去を語ってくれたことがとても嬉しかった。ここで働いていても、従業員同士の関係はあくまで従業員同士でしかないことばかりだった。それが心地よくもあったが、宍戸さんの語りには、心を開いてくれたような感じがして、大切な時間をくれた宍戸さんに感謝した。そして、勇気をもって聞いてみようと決意した。

 あの、宍戸さんは小さい頃、地震を経験したんですか。

 言い終わるか言い終わらないかくらいのところで、エレベーターが屋上に上って、ドアが開いた。ほんのわずかな部分を残していた西日が、力なく、最後の光を青色の空気に放って消えた。闇が落ちてくると同時に、内陸に向かって広がる街の灯りがぽつぽつと、暗く青い夜の川の一面に精霊を流していった。吹きはじめた夜風に揺らぐ灯りの影になった、流線形の車群の真ん中で、白い衣がしなやかに舞い踊るのを、ふたりの観察者は見た。宍戸さんが、あっ、と声をあげた。

 宍戸さんのなかに記憶の景色が蘇る、あの震災の日の昼下がり、車を出した母親がどこか高い所を探して辿りついたこのモールの屋上で、波に呑まれる街並みと暗い夜の気配に泣きじゃくった宍戸さんの前で、宍戸沙保はバレエを踊った。星空に照らされ、波に浮かんだコンクリートの舞台の上で、宍戸沙保はそのしなやかさで、娘を抱きしめ、一緒に踊った。

 身体に宿ったしなやかな感性が、この屋上の景色と夕闇のざわめきに触れる。記憶は芽を出し、みるみるうちに伸びていき、もはやすっかり縮こまり硬くなってしまった沙保の表面の奥から、優美さをいっぱいに花開かせた。枝のように細い足で身体を支え、動かし、あちらこちらへ機敏に飛び回る。宍戸さんが駆け寄っていき、長いしっかりとした足が、跳ねた空中で靴の先までぴんと伸びる。ふたりの白いシャツが風にふくらみ、羽のように空を舞い、夜を柔らかに押し返す。嵐のなかで舞い踊る天使のようなその光景をじっと見つめたまま、真子は心の奥深くで、その瞬間へシャッターを切った。

最後に

愁文会の皆様との連載第一弾が、この度無事終了いたしました! 私たち編集部も、新しい原稿を頂くたびに、皆様がどのような物語を織り成すのか、ワクワクしながらページをめくっておりました。

連載の終了に当たり、お忙しい中での突然のご連絡にも温かく対応していただき、最終章まで誠実に対応して下さった愁文会の皆様に、心より感謝申し上げます。皆様が紡ぎ出す物語一つ一つが、大学生活に新たな視点をもたらすきっかけを与えてくれました。

これらの素晴らしい作品が、より多くの読者の皆様に届けられたことを強く願っています。私たちがそのお手伝いが出来たなら、それは何よりの喜びです。

そして、これからも「才能あふれる早稲田生の輝く場所を広げたい」という目標を胸に、わせコマメディアは活動を続けて参ります!

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    • 次回の掲載は早稲田大学リコシャ写真部さんの第3回です。