愁文会×わせコマ 連載企画第二回「イン・シーズン」

コラム
コラム

こんにちは!わせコマ編集部です。

この度、わせコマでは「才能あふれる早稲田生の輝く場所を広げたい」という思いから、「創作系サークル作品連載企画」を進めることになりました! 

第一弾参加サークル

  • 愁文会:4回連載
  • 早稲田大学リコシャ写真部:3回連載
  • 理工系学術サークルWathematica:3回連載

そして、今回は愁文会さんの第二回「イン・シーズン」です!

主婦が、ひとり息子「学(まなぶ)」の東京の大学への進学をきっかけに自身の過去や親子の関係、大学での学びなどについて思いを巡らしていく様子を描いた本作。

是非一読ください!

愁文会様の連載予定

第1回:柏村悠『革命家の友』 テーマ:進取の精神

第2回(今回):鵜川与太『イン・シーズン』  テーマ:学の独立

第3回:加賀知巧『未定』 テーマ:たくましい知性

第4回:阿藤洛太『未定』 テーマ:しなやかな感性

愁文会とは
早稲田大学公認文芸サークル。同一テーマで短編小説を書いて読み合う【競作】や会員の作品を集めた【会誌『白紙』の発行・頒布】など経験問わず活動をしている。

イン・シーズン

鵜川与太

はちみつの壜を両手でしっかりと持ってみてください。小さな公園のブランコの鎖を両の手でしっかりと握りしめてみてください。そのうち高いビルの窓掃除を見ていても、ああ、つるつるしたものなどひとつも無いのだ、という気がしてくるでしょう。つるつるでないと厭だということではありません。どれもつるつるしているのがきれいだというような見た目をしていながら、どうやら実際は誰も力を懸けてつるつるにすることが必要だなんて考えちゃいないようなのが、よくわからないような気になるのです。

 いま私の目の前にはりんごの実があって、砂糖の壜があって、それらもやはりつるつるに見えてざらざら、べたべたしています。べたべた、というのは誰かが手や肩で触れてはじめて生まれる、ものの様子ですね。べたべたですが、厭ではありません。学が小さかった頃、私の休みのたびに台所に並んでお菓子を作ったことを思い出すからです。それは材料を揉んでオーブンで焼くだけの簡単なクッキーであったり、余った牛乳をたっぷり入れて作る素朴なプリンであったり、そのときの私の考え事によってはふくれ菓子やおぜんざいになったりしました。夫が日曜大工をしてこしらえた小さな踏み台に乗った学は、とにかく何でも倒しました。やわらかい肘をわんぱくに開いて牛乳を傾ければまじめな直方体から不安な波が飛び出し、机の薄力粉はたちまち膨れ上がり銀色の絶壁をなみなみと越え、まるでからくり装置のように白い線がつうと伸びて、仕上げの旗を立てるかわりにくるみ色の床から尾が跳ねました。隣の母親は少しも動かないで白い線の行方を見ていたと思います。その頃の私には、優秀な教育係としてその後の始末までを軽やかに笑い飛ばす余裕も、ひとり汚れないままで王座に泰然と立っている小さな王様を諫める気力も、きっとありませんでした。私は私や息子にとって大事なはずのその時期について、それも大事なはずのことについて憶えていないのです。そのことはたびたび、私を不安にさせます。今より幾分か若い自分が息子の真っ黒な瞳をどのような矜持を盾に射ていたのでしょうか。

 学は春に東京の大学へ行きました。いよいよ独り立ちです。と言っても、まだまだ私の子です。あの子が自分のすべてを自分で決め、管理するようになるのはいつなのでしょう。私はこの歳になってはさすがに独り立ちしていると思いたいのですが、それもどうでしょう。独り立ちしたとしたらどこでその境を跨いだのでしょう。こんなに背中をすぼめて、私はきっとまだまだ一人前になんてなれていないのです。自分のすべてを自分で決めるということなど、そもそもできはしないのでしょうね。人生の道筋を予め一筆書きで刻んでしておくことができないように、判断というのはその時々の不安をたっぷりと掬って、あるいはそれらに見ないふりをして怯えながら、その時々の自分のまわりに飛び交っていた匂いや音や言葉にふんだんに影響を受けながら自信無げに押されるものなのではないでしょうか。決定的な判断をずるずると躊躇い引き延ばしているうちにその時々が旬でなくなって気にしなくなったり、それでもまたいつか不意に巡って来る旬を恐れてずっと囚われるように考え続けたりしてしまうのでしょう。押し出しで出塁した現実は、次のバッターの打球が自分に向かう妄想をしては盗塁を狙えずにいるのです。

 りんごの色が透けてきました。コンポートは日曜日の昼下がりによく作っていた気がします。ソファに立つ夫のいびきの向こうで、高校球児が白球を打っては走る、走る。それに見とれながら、砂糖の多い鍋をたまに混ぜていました。私も大学に行ってみたかった、というのはやはり、折に思うことです。自分の興味の向く授業をとって、大きな教室で教授のやさしい声に眠くなって、友達とご飯に行ってからからと笑って。あとは、夜遅くまで図書館で本を読んでものを考えてそれでもわからなかったことが、次の日の授業の先生の何気ない言葉遣いでするするとその毛玉を解き始めるとか。そういう、自分の内にしか立たない波の匂いを肺に吸い込んで、たとえ儚くともしっかりと渚にして涼やかさを感じる。そういう貴重な時間を経験してみたかった。そういうことを学に言うと、彼はいつも真剣な顔になって私を鼓舞するのです。学びは何歳になっても清新な体験を与えてくれるものである、何歳からでも修めることができるものだと。決まって同じ、昔の測量家を例に出して諭してくれるのです、この、母親を! 私はそれが可愛くて可笑しくて、彼に悪いなと思いつついつも笑ってしまいます。彼はまだ子供です。私は彼が羨ましくなります。残念ながら大学がどのようなことをできる処なのか、実際のところを私は知りません。こう毎日働いていないといけないのでは、きっとこれからも知ることはないでしょう。

 学はこれから、私の知り得ない景色をたくさん見ていくのです。それは羨ましくも、少し寂しくもあります。もちろん、子は親から独立した他人だということは弁えているつもりですが。彼は既に私の目の届く裡にはありません。私にはもう、彼が何を考えているのか想像から辿りつくことができません。目に映すものが既に違っているのだから当然です。きっと、私が思うよりずっと前から違っているのでしょう。彼が、あの子が大学で何を学びたいと思っているのか、正直なところ私にはわからないのです。学部の名前を聞いてもなんだか難しくて、学がどうしてその学部に拘るのか深く聞くこともできませんでした。学がその学部の名前を進路希望の欄に書くようになったのはたしか高校二年生の夏ごろで、それまでの志望とまったく変わってしまったようだったものですから内心私は動揺していました。学が学に関して下す判断が学にとって学のためになると学によって確信されているものだということに母は自然と信頼を置いていましたから、彼の揺らぎを疑っていたわけではありません。そのとき私が感じていたのはただかなしさでした。たった一人の息子が、若いあいだの人生を決めてしまうほどに貴重な、ある夢を心に芽生えさせたその瞬間を、彼のたった一人の母親はすっかり見逃してしまったのだろうかという、どうしようもない私のためだけの惜しさでした。そのようなこともまた、もっとずっと前から起こっていたことなのです。独り立ちというのは外側に見える身持ちではなく寧ろ、頭や心の芯のようから育ってゆくものなのですね、きっと。

 火を弱めると甘い泡が小さくなります。そろそろ煮る具合に見切りをつけなくてはなりません。私はその判断がいつも少しだけ遅くて一番の食べごろ、旬を立ちすくんで見送ってしまうんですね。夫は私のその癖を呆れて笑います。その笑う眉は、私には少しつらいです。私の臆病さはやはり多くの場合厭われるものなのです。学はどのように生きていくのでしょう。社会に、どのような強さをもって立ち向かってゆくのでしょう。それでも私は余計な慎重さを捨てることができません。外の世界にあるものは、つるつるしているように見えてどれもべとべとしています。信じられないほどの数の人の手垢が残っています。それは良いこともあれば、粘着して嫌に糸を引く場合もあります。自分の若い頃はそう思い出せませんが、あなたもいろんなものをその手で触ってきたでしょうから覚えがあるでしょう。学がこれから数年間向き合うことになるものたちも、そのようなものではないでしょうか。偉大な手垢に支えられ、重さを傾けられ、べとべとしている。快感だけで手を纏ってはくれないもの。しかしその高いビルの窓のどこか、固まった壜の縁、小さな公園の錆びのうちにどこか皺がひんやりと馴染む手の跡があって、そこで自分だけに芽生える親しみに気付く。心のなかで小さな泡が弾ける音は自分にしか聞こえないほどにささやかで、しかしその喜びは全身に芳醇に香り立つのです。

 学がこれからつるつるに憧れていずれ様々なべとべとを知ったとき、絶望するかもしれない。不快感になるべく遠く離れたくなるかもしれない。それでもその先でいつか、そういうものだとわかっていながら面白がって触れられるような、そんな風になることができたらきっといいのではないかと思うのです。もちろん、彼が窓の掃除夫になってすべてをつるつるにすることに力を懸けてもいいわけです。つるつるとべとべと、そのどちらも愛することしか健全でないと解っているならば。私はそれだけを、思いのほか強く願っているかもしれません。しかし、私のこの願いは彼に届くものであってはなりません。学は私から独立する存在です。私の願いはただ願いとして打ち上げられ、場外に大きく飛ばされて海に流れていくべきなのです。しかし打ち上げることもできず苦しさに目を瞑って我慢していたら、つぎに目を開けた頃には大量の泡が鍋から噴き出しています。だから私は身勝手にも書きました。私の迷いがちで独りよがりな心の内を封じ込めた壜をあなたは、あなたの渚で軽く洗ってから気ままに打ち上げてくれるだろうと思ってしまったのです。

 火を止めましたが、見るからにべとべとです。たっぷり掬うために取り出したスプーンは荒れた指にはつるつるで、学が小さな凸鏡に顔を映して鼻を長く伸ばしたり目を見開いて近づけてみたりしていたのを思い出します。彼はべとべとした砂糖の照りですら透明な海を映すかのように目を輝かせました。そうして、測量のうまくできない私のお菓子を、袖や手を汚して口いっぱいに食べてくれたのでした。ああなんと、私は彼が不器用に空っぽにした皿に、何度救いをもらっていたのでしょう……いまは彼に倣って、今だけは汚れることも厭われることも少しも厭わないで、少し煮詰めすぎた甘いりんごを口いっぱいに食べることにします。近くの中学校から、吹奏楽部の奏でる応援歌がかすかに聞こえてくるのです。

次回予定

第3回 加賀知巧「回想、想起、訣別。」

「たくましい知性」がテーマの第3回。人間関係の上で、様々な事項を認知し、判断し、上手く進めていく能力も「知性」と捉え、大学生の青年が思いを巡らしていく。

  • このサークルの連載
    • 第1回はここから
    • 第2回はここから
    • 第3回はここから
    • 第4回はここから
  • 他のわせコマ連載企画
    • 次回の掲載は早稲田大学リコシャ写真部さんの第2回です。