みなさんこんにちは!Sodai.編集部です!
東日本大震災から11年、震災関連の報道は減り、読者の皆さんの中にも震災は過去の出来事だと思っている方も多いのではないでしょうか。
しかし、11年経った今でも、福島県内には多くの帰還困難区域が残り、核廃棄物の行き先は決まっていないなど、福島復興はまだまだ途上です。本日は、早稲田大学の実施する福島復興研究プロジェクトを活用して、福島復興に参加する二人の早大生にお話を伺いました。震災当時の記憶も薄く、東北出身でないお二人は、どのような思いで活動しているのでしょうか。
目次
はじめに
編集部:それでは、まずお二人の自己紹介からお願いします。
髙垣:早稲田大学社会科学部2年の髙垣 慶太(たかがき けいた)です。広島の出身で、核兵器廃絶や軍縮の問題、過去の戦争の記憶をどう後世に伝えることができるか考え、活動しています。
倉重:早稲田大学政治経済学部3年の倉重 水優(くらしげ みゆ)です。普段は政治の場におけるアートの活用について学んでいます。
編集部:お二人はどのようなつながりで福島復興に関わっているのでしょうか?
倉重:持続可能な福島復興を考える研究機関である早稲田大学ふくしま広野未来創造リサーチセンター(代表:大学院アジア太平洋研究科 松岡俊二教授)主催の復興研究ワークショップに参加したことが最初のきっかけです。ワークショップ後も、浜通り地域で行われた地域おこしイベントに参加したり、リサーチセンター主催のふくしま学(楽)会においてパネリストとして発表を行ったりと、継続的に活動しています。
終わっていない原発事故
編集部:「復興研究ワークショップ」というのはどのようなものでしたか?
髙垣:昨年の11月21日〜23日の三日間、福島浜通りの視察を行いました。簡単に3日間の行程をご説明すると、まず一日目に東日本大震災・原子力災害伝承館、震災遺構となった請戸小学校、水素実証施設を訪問しました。伝承館では、富岡町で被災された方の被災体験を伺い、大震災や原発事故によって、それまでの暮らしが失われたことを知りました。二日目は東京電力廃炉史料館、福島第一原子力発電所を見学し、東京電力の方から事故処理の現状について説明を受けました。その後、双葉郡広野町にあるふたば未来学園という学校で、生徒さんと震災や原発について対話する機会もいただきました。三日目は中間貯蔵施設を訪れ、汚染された土壌などがどのように保管・処理されているかを視察し、最後に、被災の記憶と合わせ、震災前の伝統や街の文化を伝えているとみおかアーカイブ・ミュージアムに足を運んで終わりました。
編集部:かなりハードなスケジュールでしたね…笑
お話を伺っている中で気になったのですが、原発に近づくにあたって、防護服などは着用したのでしょうか?
髙垣:防護服は着なくて大丈夫で、ベストと被ばく量を測る線量計、感染対策用の軍手を身につけて入りました。もちろん完全に除染されているわけではないので、長時間いると基準値を上回る危険性もあり、様々な対策が行われています。その一つの例として、敷地内には線量計を付けて入るのですが、建屋に近づいていくとものすごいスピードで数値が上がっていって、線量計のアラームが鳴ったりもして、恐怖心を覚えました。
編集部:一般の方でも足を運べるように整備されてきているんですね。それでも10年以上経った今でも完全に安全とは言えない状況を見ると、原子力について考えさせられますね。
髙垣:放射線っていう目には見えない、感じることもできないという「放射能の恐怖」を肌身で実感することができて、それこそ、実際に行ってみて初めて分かる感覚でした。
編集部:そうですよね。原発視察の他に印象に残ったことについてもお話しいただけますか?
髙垣:はい、ふたば未来学園の生徒さんとの交流が印象に残りました。「福島に住んでいるからこそ」「当時を知っているからこそ」、震災を伝えていかなくてはならないという使命感を持って活動をしている方が多いことを感じました。
地元広島で、平和活動を”しなくてはならない”と義務感を持ってしまう若い世代もいて、それがふたば未来学園の生徒さんたちにも同じことが起こり得ると感じたんですよね。
でも、震災について伝えようと活動している姿にすごく共感して、これからも強くつながって、一緒に問題に向き合い、取り組みたいと思える時間だったので、すごく貴重な経験でした。
編集部:ありがとうございます。現地に実際に行ったからこそ「震災」というものを改めて実感できて、なおかつ、現地の方と関わることで髙垣さん自身のアイデンティティの再発見・再確認ができたんですね。
髙垣:本当にその通りだと思います。社会の問題に向き合う中で、自分が行動しても何も変わらないのではないかと、一人で悩んで落ち込むこともあるのですが、だからこそ、同じような志を持っている人同士でつながることが励みにもなり、大事なことだと感じました。
編集部:ありがとうございます。倉重さんがこのワークショップに参加した動機についても教えていただけますか?
倉重:まず、ワークショップ以前に原発の問題に興味を持ったきっかけからお話しすると、私は東京出身ということもあり、もともとこの問題に当事者意識はなかったのですが、GECの講義を取ったことで関心を持つようになりました。その授業では東北出身の学生から、「なぜ東京で使う電力を賄うために自分たちが住んでいる地域が犠牲にならなくてはいけないのか」という率直な意見を聞いて、犠牲になる人がいることを知らずに生活を送っていたことに気づき、東京に住む自分にも関係のある問題なんだと考えるようになりました。復興研究ワークショップには、その講義をなさっていた松岡俊二先生の紹介により参加しました。
編集部:松岡先生の講義はどのような内容でしたか?
倉重:そうですね、講義のタイトルに「持続可能な…」という言葉があって、SDGsに関する講義かなと思ってとったのですが、思ったよりも原発と福島復興の話がメインで…
編集部:それじゃあ思いがけず関心を持った感じですか?
倉重:そうなりますね笑
福島に行って感じた「自分事」
編集部:倉重さんにとって、ワークショップを通して得られた自己成長や気づきはありましたか?
倉重:このワークショップ自体が、「震災を自分事化する」というのがテーマだったんですね。そのテーマの通り、震災をより自分事化できたことが一番の成長だと思うのですが、それだけでなく、そもそも自分事化するとはどういうことかについて、考えさせられました。
編集部:といいますと?
倉重:視察に行く前の心境からお話すると、私は幼い頃、都心に住んでいたのですが、金銭的な事情で洪水のリスクが高い地域に住むことになったんです。以前住んでいた地域に比べてそんなに好きにはなれなかったんですよね。失礼な話ですが、被災リスクが高い地域に住み続ける方は、自分と同じように金銭的な事情で、より安全な地域に移り住めないのではないかと思っていました。加えて、被災地域への帰還率が低いということを聞き、地域の人々は避難先で新しい生活を築いたことで、地元に戻る必要性が感じられなくなっているのではないかという偏見も視察前には持っていました。結論から言うと、視察を通じて実際はそうじゃないということに気づかされました。原発で水素爆発があった後に全町避難が発令され、現地に住む方々は避難を余儀なくされました。自宅に戻れない期間を経て一時帰宅した際、家の姿の変貌ぶりに落胆し、「もうこの家には戻れない」と家を撤去してしまう方も多かったそうです。この話を聞き、帰りたいという気持ちがあるゆえに、震災前とは変わってしまった景色を前には生活できないという人がいることを知ったんです。この経験から、地域の人々がどれだけそこでの暮らしを大切にしていたか、強く実感しました。また、私が視察前に考えていた帰還率の低い理由は実際には異なっており、色々学んでいるつもりでも、実際に行ってみないとわからないことがあるという気づきにも繋がりました。
編集部:講義で得た原発事故に関する知識を、ワークショップで現地を見て、より自分のものにできたという点で、質の高い学びになったのですね。
倉重:そうなんです。現地の方が地元に愛着を持っているということは行ったからこそわかったことで、そこに理解が深められたからこそ、震災を自分事化できたのかなと思います。
編集部:この視察を通して、原発や震災への考え方も変わりましたか?
倉重:はい。視察前は科学の視点から原発事故を見ることが多かったんですが、今は原発事故が起きた近くにも暮らしがあって、そのように今ある暮らしがある日突然送れなくなってしまうことは自分にも起こり得ると考えるようになり、それこそ自分事化して考えられるようになりました。
編集部:震災や原発の問題を考えるにあたって、やはり自分事化することが重要になってくるんですね。
倉重:特に災害は「非日常」だからこそ、過去の例を自分事化して備える必要があると思います。ただ、自分事化することの全てがいいわけではなく、非当事者だからこそ見えてくるもの、再発見できることもあって、当事者じゃないからこそできることもあるんだなと感じました。
編集部:非当事者じゃないからできることですか?もう少し詳しく伺いたいです。
倉重:これに関しては、東京に帰ってきてから感じたことが大きいです。このワークショップに行ったことを自分のSNSで発信したのですが、私の周りにいた人は、私と同じように震災についてはあまり知らないし、経験もしていない人が多いんですよ。そういった人から私のように専門家でも当事者でもない立場の人から聞いた方が自分事化しやすいというコメントを目にして、福島復興のために、専門的な知識もなければ当事者でもない自分にもできることがあるんだと思えるようになりました。結果的に、独自の視点で福島復興に関わればいいとわかり、私自身も分野を限定せず、より自由に学んでよいと考えられるようになりました。
福島のあり方、原発についての想い
編集部:お二人は今後の福島のあり方や原発について、どのような考えをお持ちですか?
倉重:福島のあり方に絞ってお話しすると、当事者がいなくなっていくにつれて、震災の記憶が現在よりも薄れてしまうことは仕方ないことだと思っています。だからこそ、3.11を単なる悲劇として伝えていくのではなく、地域の人々が地元を誇れるような別の形で残していく必要があると思います。例えば、世界でも脱原発・核兵器廃絶の動きがある中で核廃棄の技術は注目されていますし、福島での行政と地域住民の対立に注目すると、地方自治における新しい対話方法の提案ができるかもしれない。単に町を震災前の状態に戻すのが「復興」ではなく、先に挙げたような技術や挑戦で社会に貢献するという成功体験を残していくことが求められていると思います。危険ととなりあわせで原発産業に支えられた町から、持続可能な町へ、福島で活動なさっている方々が地域の未来にわくわくしながら新たなことに挑戦している姿を見て、私も復興に取り組んでいます。
髙垣:まだまだ勉強不足の学生の一意見であるという前提のもとお話するのですが、今回視察をしてみて、それまでは広島に関する活動もあって、核兵器・原発と人間は共存できないと思っていましたし、今も思っているんですね。それと同時に、そういった技術が人の生活を潤したというのも言えることで、今回の視察で伺った話ではありませんが、自分たちを「被害者でもあるけど、加害者でもある」と表現していた方もいらっしゃいました。こういった話を含めても、やはり核と人間は相容れないものであると、世界情勢と照らし合わせても思います。昨日(3/16)の地震のことやウクライナ紛争のことでも、原発があるからこそ、現に「放射線」に対する恐怖が生まれてきてしまっていますよね。難しい問題ですけど、やっぱり人間が核を本当に扱いきれるのかというのは、改めて考えていく必要があるのではないかなと思います。
最後に
編集部:本日はありがとうございました。最後に、読者の皆さんへメッセージをお願いします!
倉重さん「機会を活かして挑戦を」
倉重:私自身がもともと原発の問題が難しいものだと思って、見ないようにしていた身なので言えることかもしれませんが、そうやって見ないようにしている問題は社会にはたくさんあると思います。もちろん、すべての問題を自分に結び付けて考える必要はないし、背負う必要もない。それでも、人によって視点や強みは違っても、社会問題の解決に向けてそれぞれができることがあると思うので、まずは問題が、今回の私の例であれば原発について、自身とどのように関わっているのかを考えてみることが重要だと思います。
中でも、東北地域が抱えている問題などに興味があれば、まずは現地に足を運んでみてほしいです。私はたまたまこのような機会をいただきましたが、早大生であれば誰でも参加できる機会がたくさんあります。大学生は自由に挑戦できる時期だと思うので、こういった取り組みをぜひ活用してみてください!
髙垣さん「問題意識と『ご縁』を大切に」
髙垣:それぞれが自分の興味関心をもとに、社会や社会に存在する問題を捉えていくことはできると思うんですよね。まずは自分自身で問題意識を持とうとしてみること、あるいは自分の興味とは異なることでも、興味を「持とう」としてみると、案外自分の関心とつながって面白かったりするんじゃないかと。
それから、大学の授業や活動の中での出会いは個人的にすごく大切だと実感しています。僕も、松岡先生の授業を取っていなかったら、今頃こうして福島の地域や人と関わることはできていないですし、一緒に考えたり、活動する仲間に出会うこともありませんでした。きっと皆さんの周りにも、そうした機会や出会いが実はたくさんあるのではと思っているので、ぜひぜひ様々な人との「ご縁」を大切に、学生生活を送ってほしいです。そしてもし、このトピックに関心を持ってくださった方がいれば、一緒に考えていけたら良いんじゃないかなと思っています。